本日は日本酒の魅力に迫ります。よいお酒がたくさん造られる三大酒どころとして、兵庫県の灘(なだ)、京都府の伏見(ふしみ)、広島県の西条(さいじょう)が知られています。実はこれに福岡県の久留米を含める説もありますが、いずれにしてもこの4つの地域が日本でも有数な酒どころで間違いありません。
今回はこのうち灘を取り上げます。灘の日本酒は、荒々しい香りと舌触りを表現し、多くのお酒好きの方からは「男酒」と呼ばれています。日本酒の8割は水で構成されていることから分かるように、日本酒にとって水は重要な要素です。次に酒米です。今回は、兵庫県の酒どころである「灘」を生み出した「宮水(みやみず)」、兵庫県が誇る最適酒米「山田錦」とお酒の技術者「丹波杜氏」(たんばとうじ)を紹介します。
男酒のメッカ「灘五郷」の地域はどこにある!?
この「灘」とは兵庫県の神戸市灘区から西宮市にかけての沿岸地域を指し、神戸市灘区新在家から西宮市今津の間に、日本酒造りが盛んな5つの地区「灘五郷(なだごごう)」あります。
灘五郷は、神戸市灘区の「西郷(にしごう)」、東灘区の「御影郷(みかげごう)」と「魚崎郷(うおざきごう)」、西宮市の「西宮郷(にしのみやごう)」と「今津郷(いまづごう)」から構成します。ちなみに、日本で日本酒生産量が最も多い地域であり、国内生産量の約25%を占めるとされています。
銘柄も大関、今津酒造(「扇正宗」)、菊正宗酒造、沢の鶴などがあり、いずれも大変知名度の高い日本酒を生み出しています。これ以外にも個性的な酒蔵もあり、日本酒好きにとっては灘五郷を訪れることは大きな楽しみになるでしょう。
山田錦は兵庫県が生み出した最適の酒米
それではなぜ灘にこれだけの銘酒が揃ったのかその秘密を探っていきます。一つ目の理由としては、兵庫県が生み出した最適酒米「山田錦」の存在が欠かせません。1936年(昭和11年)に兵庫県で山田錦が誕生し、その後も品種改良を重ね、酒米の王者としてゆるぎない存在感を示しています。この山田錦は全国的に多くの農家が栽培を重ねていますが、それでも兵庫県の山田錦といえば酒造業界では、別格の存在として認識されています。
山田錦は、米粒が大きく光沢のある心白米であるため、米粒の中心部に麹菌糸が繁殖している程度が良く、米を溶かす力の強い麹(こうじ)をつくるのに適しています。また、タンパク質の含有が少ないため、雑味が少ない点が特徴です。山田錦によりつくられた日本酒は香りが高く、きめの細かいまろやかさを持つコクのある味わいになります。兵庫県の地形、土壌などにより山田錦の栽培に適しているのです。実際、全国の山田錦のうち約6割が兵庫県で栽培されているのです。
灘の男酒を生み出した「宮水」とは!?
「宮水」の語源は、「西宮の水」を略した名の通り、兵庫県西宮市の沿岸部で湧き出る井戸水を指します。日本の水は欧州と比較すると一般的に軟水です。しかし、宮水は例外的に硬水であり、ミネラル分が豊富で、酵母の働きを活発にするリンやカリウム、カルシウムが多く含まれ、酒の色や香りを悪くする鉄分は少なく、酒造りに最適なバランスです。灘五郷で生まれる日本酒は優れた酒米である山田錦とこの宮水により誕生したのです。
灘五郷での日本酒の起源は不明ですが、室町時代には徐々に誕生した記録があります。室町時代で摂政、関白、太政大臣を歴任し、最高位の公家であった一条兼良(いちじょう かねよし)は、西宮市のお酒について「旨し」と随筆文に残していますから、室町時代にはこの地域でのお酒造りは盛んであったことが想像できます。しかし、当時の知識人でもあった、兼良でも灘のお酒の旨さの秘密は分からなかったのです。
室町時代から江戸時代に時代は移り、蔵元である櫻正宗6代目当主の山邑太左衛門(やまむら たざえもん)が宮水を発見しました。太左衛門が西宮と魚崎(神戸市東灘区)で造り酒屋を営んでいた時のことです。
両地でお酒造りを行い工程が同じだったにもかかわらず、味が異なる点に気が付き、その秘密はお酒の仕込み水にあったことに気が付き、「西宮の水」は特別な価値があることに分かりました。
宮水の発祥は、縄文時代から?
それではどのような原理で宮水は生まれるのでしょうか。その秘密は、三つの伏流水がハイブリッドすることにあります。北から流れ、お酒の発酵を助けるミネラル成分のリンやカリウムを含む札場筋(ふだばすじ)伏流、遠く武庫川(むこがわ)水系に源流を持ち、かつて海であった地域を流れる東の法安寺(ほうあんじ)伏流、そして六甲山(ろっこうさん)方面から流れ、夙川(しゅくがわ)を起源とし、酸素を多く含む、西の戎(えびす)伏流、と3つの伏流水が混じり合います。
この伏流水とは聞きなれない単語ですが、水がしみ込みやすい土地を川が流れると、水が地中にもぐり込む流れることをいいます。3つの伏流水がブレンドされることで、必要な栄養素がありつつも、鉄分が少ないというお酒造りに適した奇跡の宮水が生まれたのです。
それではいつ、宮水は誕生したのでしょうか。はっきりしたことは分かりませんが縄文時代までさかのぼるようです。縄文時代は今でいう、温暖化時代で今よりも海水が上昇し、低い土地は海でした。宮水の地帯は、高い土地にあったため、当時から陸地にありました。この時代、海岸近くの縄文時代の人々は、貝を食べており、海岸に貝殻を捨てていました。それが集積した場所が貝塚です。海外近い場所には、貝塚遺跡が発見されます。貝殻の層は地下に積み重なり、そこを地下水が通るため、カルシウム分が高い水ができあがるとの説があります。
西宮市全体で「宮水」を守る強い意志を示し、条例制定
現在、西宮市はこれからも宮水を守るために、「宮水保全条例」を制定しています。条例は、開発事業者が宮水の保全対象区域内でマンション建設など一定規模以上の工事を進める際、灘五郷酒造組合宮水保存調査会との事前協議を「義務」としている点が特徴です。これまでも協議をお願いしていましたが、宮水のことを知らず、協議無しに開発を進めたケースがあったため条例化しました。西宮市では、宮水は大きな財産です。そのため西宮市全体でこの財産を守っていく表れともいえます。
山田錦や宮水に加えて、酒造りの技術者である「杜氏(とうじ)」の存在も大切です。酒造りの全責任を持つ、工場長のような存在です。灘五郷の技術者は丹波地方(兵庫県東部地区)出身者が多く、日本三大杜氏のひとつである「丹波杜氏」(たんばとうじ)として酒造りを担ってきました。ちなみに日本三大杜氏とは、丹波杜氏に加えて南部杜氏(なんぶとうじ)(岩手県)、越後杜氏(えちごとうじ)(新潟県)をいいます
日本酒造りに欠かせない、米では山田錦、水では宮水、技術者としては丹波杜氏といずれも最高峰のランクです。そのため、灘五郷の日本酒に多くの日本酒ファンから熱い視線が寄せられているのです。
江戸時代に清酒のスタンダードをつくった灘五郷
江戸時代には、伊丹・西宮・灘の酒蔵は、優れた技術、良質な米と水、酒輸送専用の船によって、江戸の人々から「下り酒」と称賛された上質の酒を江戸へ届け、清酒のスタンダードを築き、今日に至ります。日本酒の神髄を味わうために是非、灘五郷への旅を楽しまれてはいかがでしょうか。
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