【山梨県・身延町】身延山久遠寺と共に歩んできた門前町 『ゆるキャン△』の舞台にも

山梨県身延町(みのぶちょう)は、山梨県南巨摩郡の町で人口は約1.1万人。中央には、富士川が走り自然豊かな地域です。日蓮宗総本山である身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)が所在する門前町として名高く宗教の聖地としての巡礼場所でもあります。

また、武田信玄の財力を支えた甲州金(こうしゅうきん)にも深く関わり、歴史的にも重要な地域です。最近では、漫画、アニメ、テレビドラマの『ゆるキャン△』の舞台にもなり、アニメの聖地巡礼の場でも有名です。

今回は、富士山ともゆかりが深い、身延町の魅力を紹介します。

目次

日蓮宗の総本山・身延山久遠寺の門前町として発展

身延山久遠寺の三門

まず、身延山久遠寺の成立からご紹介します。日蓮聖人が1274年(文永11年)に山中に庵を構えたのが始まりで、後の1474年(文明6年)に大伽藍を現在の地に移転。門前通りから巨大な三門を抜けて境内に入ります。

身延山久遠寺の総門から三門までの約1kmで参道をはさんだ両側に土産品店・旅館・飲食店が軒をつらね、数珠や宗教に関した土産品、名物のゆばもあり、いつも大勢の参拝客で賑わっています。

750年の長きにわたり歴史を紡いできた、身延山久遠寺は各種研修会や修行体験を開催し、また僧侶育成制度も設けています。武田氏や徳川家の崇拝を得て栄え今日に至っています。

アニメ『ゆるキャン△』で身延町の知名度アップ

アニメ『ゆるキャン△』はシーズン3を放送中

そして最近の身延町では大きなトピックスがあります。漫画やテレビアニメ・テレビドラマゆるキャン△』の舞台で若者を中心に有名になり、身延町としても『ゆるキャン△』のPRに積極的です。

ちょうど今、アニメ『ゆるキャン△』のシーズン3が放送中(2024年4月4日~)です。『ゆるキャン△』はキャンプ以外の寄り道をせず、淡々とキャンプの素晴らしさを描いています。キャンプの楽しさやキャラクターのかわいらしさ、豪華声優陣の起用に加えて、実在の風景をもとに描かれた細かな描写、作中に流れる暖かい雰囲気など、あたかも自身がキャンプに参加しているような錯覚に陥るなど、キャンプそのものの魅力を感じられる点にこのアニメの価値があり、キャンプブームの先駆けになったこともうかがえます。

アニメ『ゆるキャン△』の舞台となった、旧下部中学校。『ゆるキャン△』の舞台では、本栖高校という設定だった。

女性シンガーソングライターの佐々木 恵梨さんは、『ゆるキャン△』のエンディング曲を歌唱した縁で舞台モデルとなった身延町の町歌「おかえりなさい 少年たちよ」を歌唱され、町歌の再生回数としては異例の7万回数(2024年4月26日現在)を超えています。

ちなみに、「千と千尋の神隠し」の主題歌を手掛け、山梨県出身の作詞家・覚和歌子さんが協力しました。身延町は2004年に、旧身延町と中富町、下部町との合併により誕生しました。

そこで新しく歌える町の歌を作って欲しいという要望が寄せられ、制作が決まりました。2019年9月に町の公式YouTubeに公開され、『ゆるキャン△』ファンからも好評、移住にも前向きになる方も増えているとのことです。

戦国の武田氏の軍事力を支えた金山の資料を展示

甲斐黄金村・湯之奥金山博物館

さて戦国大名の武田信玄といえば、甲州金が有名で豊富な財力に恵まれていました。身延町は、甲斐黄金村・湯之奥金山(かいおうごんむら・ゆのおくきんざん)博物館」で、「武田信玄の隠し金山」とも呼ばれた湯之奥金山に関連する資料などを展示しています。

展示内容は、映像シアター、金山衆の一日の仕事を表現したジオラマ、甲州金や鉱山道具などの出土品、選鉱を行う作業員の原寸大人形などです。

戦国時代最強の実力を誇った武田信玄の財政・軍事を支えたのが甲州金で、その内容を学べる博物館です。

武田信玄は徳川家康を三方ヶ原の戦いで破り、織田信長の拠点である尾張国(愛知県)に迫りましたが、残念なことに病に倒れ、信長との直接対決を見ることはできませんでした。しかし、信玄の寿命が長ければ、西上作戦を成功させ、武田が天下を取っていた可能性があります。その武田の軍事力を支えたのが甲州金だったのです。最近、歴史学の進展により、武田の強さの秘訣が経済力であったことが改めて評価されています。逆に領内で金が取れなくなると、武田氏は急速に衰退し、その後滅亡します。

この近隣には、有名な下部温泉(しもべおんせん)があります。この温泉にはさまざまな歴史的有名人が湯治に訪れています。

武田信玄の隠し湯「下部温泉」

下部温泉

やや温めではありますが、疲労回復、外傷、火傷、リウマチ、腰の痛み、神経痛などに効能があるとされ、1200年の歴史を持っているのです。

史伝によると、信玄の隠し湯の一つとされたほか、日蓮聖人、後に天下人となった徳川家康も入浴したと伝わっています。特に信玄は、領地であった山梨県や長野県に多くの隠し湯を持ち、その中でも下部温泉を特に愛し、独占的に利用したとも伝わっています。

信玄といえばライバルの上杉謙信と長野県・川中島で5回戦ったことは有名です。真偽のほどは定かではありませんが、史伝によると第4回川中島の戦いでは、信玄と謙信が一騎打ちをした逸話が残るほどの激闘と伝わっています。川中島の戦いで信玄は傷を負い、この隠し湯で傷をいやした逸話も残っています。

第4回川中島の戦いでライバル同士の信玄と謙信は一騎打ちをしたと伝えられる(謙信(右)の太刀を信玄(左)が軍配で受け止める像。写真は長野市八幡原史跡公園の一騎討像)

下部温泉には、新たな町営温泉施設「ヘルシースパサンロード しもべの湯」がオープン、スポーツジムや観光案内所も併設しています。

本栖湖からは紙幣の逆さ富士を見れる

本栖湖の逆さ富士

また、本栖湖から見る富士山の光景は美しい。本栖湖北岸は富士の好展望地で、エメラルドグリーンの湖畔から見る富士山は千円札の裏にデザインに採用されているのです。

次に身延町では「しだれ桜の里づくり事業」を進めています。地元の身延高校生から、「町の中に、たくさんの満開のしだれ桜があったらすばらしい」との提案を受けて実現しました。町の木「しだれ桜」を町一丸となって植えて、町のイメージアップとまちづくりに結び付けています。

3月末から4月初旬は、「しだれ桜」を町のあちらこちらで見ることができます。そして、夏にはホタル、秋には紅葉、冬にはイルミネーションとさまざまな楽しみ方があります。

身延町のしだれ桜

さらには水も豊富な地域でもあります。身延町の中心を流れる富士川は、日本三大急流(最上川・球磨川・富士川)の一つで、悠久の時代から、人々の暮らしに恵みを与え続けてきました。

富士川

かつて江戸・明治時代には塩や米を運ぶ富士川舟運として物流の基幹となり、身延参詣も船を利用してたいへんにぎわいました。

2010年、その富士川で「ラフティングツアー」がスタート、急流をボートで下るスリルが評判で県内外から多くの方が訪れる人気スポットです。

語りつくせない身延町とその周辺の魅力

今回は山梨県の身延町での見どころである、日蓮宗総本山として知られる山間の聖地「身延山久遠寺」、金山の歴史に触れ体験できる「甲斐黄金村・湯之奥金山博物館」、信玄の隠し湯「下部温泉」などを紹介しました。

このほか本栖湖には「浩庵キャンプ場」があり、『ゆるキャン△』の舞台にもなりました。語りつくせないほどの多い、身延町とその周辺地域ですが、是非一度お越しになり、歴史、温泉、アニメの聖地としてのだいご味を味わって欲しいです。

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