【宮崎県・井上酒造】名水と共に革新的な芋焼酎の販売で新たな市場を生み出す

宮城県・日南市の焼酎蔵・井上酒造

芋焼酎は味や香りが強いイメージがありますが、井上酒造株式会社(宮崎県・日南市)は、従来の常識を破り、「爽 飫肥杉」(さわやか おびすぎ)を発売、爽やかな味わいとフルーティーで飲みやすい芋焼酎として人気を集めています。

「爽 飫肥杉」の開発にあたり、日本初の減圧蒸留100%芋焼酎の商品化にふみきり、芋焼酎の常識を覆し、「飲みやすい」と評判になり、新たな市場を生み出しました。

また、ここの焼酎蔵には、種田山頭火が激賞した名水「榎原湧水」(よわらゆうすい)があり、上質なお酒造りを支えています。さらには近年、国産キャビア「日南発キャビア」の発売に乗り出し、新たなステージに入っています。

今回は、「爽 飫肥杉」の誕生秘話をはじめ、さまざまなお話を井上酒造の田中範佳代表取締役にうかがいました。

目次

名水「榎原湧水」による芋焼酎で成長

まず井上酒造のご紹介からお願いします。

田中社長

井上酒造の事業内容は、単式蒸留(たんしきじょうりゅう)焼酎※やリキュール類の製造・販売、加えてキャビア事業も推進し、会社の敷地内にチョウザメを養殖し、キャビアも販売しています。

会社の沿革は、創業が1894年(明治27年)で、ことし2024年で創業130年という大きな節目を迎えました。当時は古くから信仰され縁結びの神様で有名な榎原神社(よわらじんじゃ)(宮崎県・日南市)の門前町で井上家が清酒の酒蔵として始めました。
 
1921年(大正10年)頃には現在の本格焼酎に転換。名水「榎原湧水」(よわらゆうすい)とこだわりのさつま芋や米を原料とする芋焼酎の販売でその後大きく成長します。

※単式蒸留・・・単式蒸留器(ポットスチル)で蒸留し、もろみから焼酎を取り出す方法。発酵したもろみを単式蒸留器に入れ加熱、蒸発した水蒸気を冷すことで原料特性の高い焼酎を作り出す。

田中社長

その後、昭和50年代には合名会社から株式会社に変更し、1981年(昭和56年)には製造設備を一新し、年間2万石の設備としました。

2年後の1983年(昭和58年)には井上酒造にとって起死回生の主力商品となる芋焼酎「爽 飫肥杉」を発売開始。これは日本初の減圧蒸留を採用した芋焼酎なんです。
 
各酒類鑑賞会で高く評価され、井上酒造はさらに飛躍しました。その後、2012年(平成24年)には、国産キャビア商品化を目的にチョウザメの養殖をスタート。

2019年(令和元年)には、国産キャビアの新ブランド「日南発(ひなた)キャビア」を発売しました。また、2014年(平成26年)から太陽光事業にも参入しています。

ヒット商品「爽 飫肥杉」誕生の秘話

――井上酒造さまの強みは田中社長から見てどこにあるとお感じになりますか。

田中社長

麦焼酎や蕎麦焼酎の台頭により、次第に主力商品である芋焼酎の売上が減少し、地域の同業他社に埋没した酒蔵でした。
 
先代の寺田徳男前社長(現監査役)が日本有数の鉄鋼会社・淀川製鋼所の社長室に勤務していたときのことです。

淀川製鋼所社長であり井上酒造を生家に持つ井上利行氏から「経営危機に瀕している実家の焼酎蔵の経営を君に立て直して欲しい」と依頼されたのです。
 
寺田前社長は、杜氏に付きっきりで焼酎造りを一から学び、造りが終わると配達と営業に明け暮れる日々を送っていました。

ただ、宮崎県南部は大変、焼酎蔵が多い地域。他の蔵にはない芋焼酎を造ることを思い立ちました。
 
当時は考えもしなかった蒸留方法を採用し、今の代表銘柄「爽 飫肥杉」の開発に成功しました。

そこで井上酒造の強みを改めて申し上げれば、日本初の減圧蒸留を採用した焼酎の開発、製造、販売を推進していることにあります。

売上的にも「爽 飫肥杉」は屋台骨を支えているんです。またお酒の8割は水で構成されていますが、「爽 飫肥杉」は蔵内の榎原湧水(よわらゆうすい)が支えています。

俳人・種田山頭火が愛した「榎原湧水」

井上酒造の湧水の近くに建立した
種田山頭火

種田山頭火の句碑「こんなに うまい水が あふれている」

――この湧水について詳しく解説をお願いします。

田中社長

はい、こちらも井上酒造全体を支える財産です。昭和の初め頃に水が湧くところに移転しました。
 
「榎原神社」の摂社、「桜井神社」の地下深くより噴出し、この場所から地表に湧くと伝わるこの水は、 “桜井さまからのもらい水”、通称「桜井水」といわれ古来から地域の人々に親しまれ、その命と生活を支えてきました。
 
この湧水は、1993年(平成5年)に「榎原湧水」として「宮崎の名水21選」に選定されました。1日あたり約380tもの湧出量を誇ります。
 
記録によれば、1933年(昭和8年)に旅と酒を愛した流浪の俳人・種田山頭火(たねださんとうか)※が宮崎県日南市を訪れ、「榎原湧水」を愛し、その際詠んだ詩「こんなに うまい水が あふれている」との直筆を残しています。

そこで10年前の創業120年の時にこの直筆をもとに「山頭火句碑」を建立しました。句碑は高さ150㎝の御影石で出来ています。

※種田山頭火・・・1882年(明治15年)に山口県防府市に生まれ、自由律俳句の代表的俳人。ふるさとで俳句に触れた山頭火は、”自由律俳句”という五・七・五にこだわらない自由なリズムの俳句を作る。

――しかしなぜ減圧焼酎100%の芋焼酎の開発に思い至ったのでしょうか。

田中社長

寺田前社長は、もともと淀川製鋼所勤務の鉄鋼マンで、焼酎とは縁もゆかりがありませんでした。芋焼酎の造り方は、常圧(じょうあつ)蒸留※が本流です。減圧(げんあつ)蒸留※で造ろうと思われる方は当時ほぼいなかったでしょう。
 
ただし他社とは違う焼酎を造らなければ埋没すると判断し、一刻も早く差別化しなければならないという危機感から研究を進めたと聞いております。

※常圧蒸留・・・地上の大気圧(水の沸点が100℃の状態)で蒸留することにより、もろみが高温で沸騰し、沸点の高い成分や加熱により化学変化してできた成分などが留出して独特な香りと濃醇な味わいを生み出す。

※減圧蒸留・・・焼酎を蒸留する工程で蒸留器の内圧を下げて、真空に近い状態で沸騰する温度を下げて低温で蒸留する製法。減圧蒸留原酒はフルーティーで軟らかくすっきりとした焼酎になる。

地元の日南の女性から「飲みやすい」と絶賛

軟らかくフルーティーな「爽 飫肥杉」のヒットの裏には女性の高い支持があった

――「爽 飫肥杉」の完成後の評価はいかがでしたか。

田中社長

従来の芋焼酎は力強い味わいが特徴ですが、「爽 飫肥杉」は軟らかくフルーティーで、一時期は、「水のような焼酎」といわれたことも・・・・
 
実際、満を持して発売した「爽 飫肥杉」でしたが、最初の数年はなかなか受け入れられませんでした。

評価されたのは日南市の女性たちでした。婦人会の会合で、「この焼酎は飲みやすい」と評判になり、それが宴会を仕切る女性、繁華街の女性、主婦の方から高い支持を受けていったのです。
 
芋焼酎の常識を覆した意味は大きく、地元日南では黙っていても売れるヒット商品になったのです。そこには当時の営業スタッフの努力も忘れてはいけません。
 
また、焼酎に飲みなれていない若年層の方からも受け入れやすかったのです。芋焼酎業界に新たな需要を生み出しました。

「爽 飫肥杉」の銘柄名の由来とは・・

銘柄名の由来の一つになったまっすぐに伸びる「飫肥杉」

――「爽 飫肥杉」の銘柄の由来ですが。

田中社長

江戸時代に日南市をはじめとする地域を支配していたのが飫肥藩です。廃藩置県まで一貫して14代にわたり伊東氏が藩主をつとめました。飫肥藩は財政を豊かにするためにスギの品種改良を重ね、産まれたのが「飫肥杉」です。
 
江戸時代は藩の指導で山に飫肥杉を植林し、財政的にも潤いを持たせることに成功しました。以来、造船するための木材として全国各地に需要があったようです。今でも飫肥杉の特性を活かし、県内では建築材料として使用されています。
 
飫肥杉は成長が早くまっすぐに伸びていきます。そのイメージから銘柄に「飫肥杉」につけました。また、焼酎の爽やかさやフルーティーも強調したいことから、「爽」を冠にして、「爽 飫肥杉」という商品名になりました。

国産キャビア事業に参入 「日南発キャビア」の販売に乗り出す

――国産キャビアを発売するなど異業種にも参入されましたね。

田中社長

2012年(平成24年)には当時の宮崎県知事肝いりで「宮崎県100億円を稼ぐ事業」を展開することでキャビアに注目が集まりました。それまで県生産試験場でチョウザメのふ化に成功していましたから、県内の業種を超えた会社にキャビア事業の参入の募集をされていました。それに井上酒造も賛同し、開始した経緯があります。
 
次に太陽光発電ですが、井上酒造から遠隔地に未利用の敷地があり、そんな中、太陽光発電のブームがありましたので、2014年からその事業に参入し、電気を生み出すことに貢献しています。

――キャビアは寒い地方での生産のイメージがありますが。

田中社長

確かにそういうイメージはありますが実はチョウザメの養殖は南ヨーロッパでも盛んで極寒の地域でなくてもキャビアの生産は行われています。
 
芋焼酎には「榎原湧水」を使っていますが、一日当たりの湧水量は莫大な量です。そのまま使わなければ川に流れますから、湧水の活用で「キャビア事業」に参入すれば、雇用創出を生み出し、地域に貢献できるのではないと考え、開始しました。
 
井上酒造では蔵の見学の受け入れもしてますが、チョウザメにも関心を持たれる方もおり、蔵の見学に訪れる方も増えている点でも貢献しています。

今は海外では日本酒ブームとうかがっています。海外展開はいかがでしょうか。

田中社長

海外展開には以前から、目を向けているところです。ただし、清酒や日本製のウィスキーと比較すると、焼酎の認知度はこれからです。今後は輸出についても注力していきたい。
 
今、コロナ禍も収拾し、多くの訪日外国人が観光地を訪れ、井上酒造の関連会社に「櫻の郷酒造株式会社」があり、売店も併設しています。ツアーの外国人の方が多く訪れ、購買と試飲を楽しまれており、焼酎のPRも強化していきたい。

伝統と革新を融合し、新たなチャレンジも

井上酒造の新境地 ナツメヤシから造ったデーツ焼酎「孤独な天使」

――今後の方向性は。

田中社長

日本のお酒は麹文化で、麹からお酒全般が生まれており、この文化を守っていくことが基本です。基本を忠実としつつ、焼酎を造っていくにあたり、さまざまな手法を取り入れ、これまでと違った焼酎づくりも必要です。
 
井上酒造は、芋、米、麦、ソバと製造をしておりますが、その中でも希少なナツメヤシから造った、デーツ焼酎「孤独な天使」を発売してきました。昨年デザインをリニューアルし非常に注目を浴びています。このように従来の発想にとらわれない焼酎も売り出しているところです。
 
ナツメヤシの実をワイン酵母で仕込んだ本格焼酎。出来上がった原酒を樫樽で3年以上貯蔵熟成し、味わいもデーツ由来により甘美で、ブランデーを思わせる気品のある香り、そして深いコクが加わった至上の逸品に仕上っています。
 
「爽 飫肥杉」はお客様にとってお手に取りやすい価格帯です。それとは別に工夫を凝らした焼酎も開発・販売していく方針です。
 
井上酒造はかつて苦境に陥りましたが、寺田前社長をはじめ社員一丸となって、「爽 飫肥杉」を生み出し、販売し乗り越えてきた歴史があります。この良き歴史を鏡とし、社業に邁進していく所存です。

約50年前の井上酒造の様子

井上酒造株式会社

本社〒889-3215 宮崎県日南市南郷町榎原甲1326番地
TEL0987-68-1055
FAX0987-68-1144
代表取締役社長田中 範佳
公式HPhttps://www.obisugi.co.jp/
公式オンラインショップ(焼酎道場)https://shochu-dojo.jp/
公式Facebook:https://www.facebook.cohttps://shochu-dojo.jp/m/InoueShuzo.SakuranosatoShuzo/
公式Instagram:https://www.instagram.com/inoue.s_sakura.s/

関連会社: 櫻の郷酒造株式会社

本社〒889-2402 宮崎県日南市北郷町郷之原甲888番地
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