瀬戸内オリーブ基金は、当時日本最大規模といわれた有害産業廃棄物の不法投棄事件「豊島(てしま)事件」をきっかけに、建築家の安藤忠雄氏と、豊島事件弁護団長の中坊公平氏が呼びかけ人となって設立された NPO 法人です。
2000年、公害調停成立を機に設立して以来、瀬戸内海エリアの美しい自然環境を守り、再生を目的に活動中です。瀬戸内海エリアの環境保全活動に対して資金の助成を行うほか、直轄事業で「豊島事件継承プロジェクト」「ゆたかなふるさと100年プロジェクト」、「ゆたかな海プロジェクト」のほかオリーブ栽培などを行っています。
今回は、瀬戸内オリーブ基金事務局の清水萌さんに豊島事件の内容、その教訓のほか基金の活動内容について話をうかがいました。
瀬戸内オリーブ基金
事務局の清水萌さん
日本最大規模の産廃不法投棄の「豊島事件」はなぜ起こったか
まず豊島の場所などを教えてください
豊島は、香川県に属し青い海と白い砂浜、緑の草木に囲まれ、島の中央にある山から箱庭のような瀬戸内海の景色が見渡せる美しい所です。位置は、四国地方の香川県と中国地方の岡山県の間に、小豆島がありますが、この島の西側に位置しています。面積14.4 km²で、産業廃棄物が持ち込まれた当時から過疎化が進行し、人口は2022年現在で約740人です。
今回は、有害産業廃棄物の不法投棄の「豊島事件」を後世の教訓としたいと考えております。まずなぜ、豊島事件は発生したのでしょうか。
業者が有害産業廃棄物を不法投棄した場所は、豊島の西端の水ヶ浦と呼ばれている場所で、瀬戸内海国立公園の一部でもあります。本来、国立公園で産業廃棄物を捨てることはできません。
豊島は離島で過疎化も進んでいて、産業廃棄物の不法処理が行われても一般の方からすると何が行われているのか見えにくい場所でもありました。
豊島で産業廃棄物を正しく廃棄するには香川県知事の許可が必要です。もともと業者は所有していた水ヶ浦地区の山を削り、土砂を販売していました。1975年に業者は平地になった土地に産業廃棄物を持ち込みたいと、香川県に許可を申し出ます。これに対して、ほぼ全島民を挙げて、産業廃棄物の許可申し出について反対運動を起こしました。
豊島のほぼ全員が原告となり、処理場建設差し止めの裁判を起こしました。また、香川県には許可を与えないよう陳情し、県庁前でデモもしました。業者はこの反対運動を受けて、ミミズの養殖をするということで、汚泥処分の許可を求めました。1978年2月には、香川県も許可を与え、裁判でも無害な産業廃棄物であれば、問題がないと判断を下した一方、違反した場合は原状復帰するとの約束を得て収束したかに見えました。
しかし1980年頃から業者はミミズの養殖をやめて、有害産業廃棄物を持ち込み、不法投棄し、野焼きをするようになったのです。不法投棄もエスカレートし、運搬船を使用し、有害産業廃棄物を運搬し、狭い豊島の中にダンプカーが走り回りました。
あらゆる有害産廃が島に持ち込まれる事態に
もちろん豊島の住民も香川県に公開質問状を提出し、県の姿勢を質そうとしましたが、県は業者のしている行為は違法ではないと回答しました。
そのため、現場ではシュレッターダスト、有害物質を含んだ廃油、廃酸、廃プラ、紙くず、燃えがらなどあらゆる産業廃棄物を持ち込み野焼きし、または埋め立てて不法投棄していたのです。
野焼きの煙で空気は汚染され、豊島の住民は喘息を発症する人が増えました。当時の豊島小学校の喘息を発症した生徒は全国平均の10倍でした。
中坊公平弁護士が立ち上がり豊島弁護団団長に
この不法投棄はなぜ収まったのですか
業者の不法投棄は突然終わります。1990年11月に管轄内の香川県警ではなく、兵庫県警が強制捜査に入り摘発し、大規模な不法投棄の実態が明るみに出ました。摘発したことで業者の不法投棄は終わりましたが、ゴミの山はそのまま放置されました。住民は県や県議会にゴミの山をなんとかしてくれと陳情しましたが、県も県議会も対応しませんでした。
そんな時、日本弁護士連合会会長を歴任された中坊公平弁護士が住民の代理人となり、豊島弁護団を結成してくれました。1993年11月には香川県に対してゴミの撤去を求める公害調停が始まりました。日本での廃棄物の不法投棄としては最大規模であり、廃棄物撤去を求める公害調停も日本では初のケースでした。
調停期間には、銀座に豊島のゴミを持って行ってデモをするなど広く世論に訴えました。公害調停での専門委員会の調査では、不法投棄された有害物質は基準をはるかに上回り、早急に適切な対応を取るべきだと提起しました。
最終合意で香川県は正式に謝罪
調停申立から7年半がすぎ、ようやく真鍋武紀香川県知事(当時)は、豊島の産業廃棄物不法投棄問題について「香川県は廃棄物の認定を誤り、業者に対する適切な指導監督を怠った結果、土壌汚染や水質汚濁等、豊島住民に長期にわたり不安と苦痛を与えたことを認め、心から謝罪の意を表します」と述べて、深々と頭を下げて謝罪し、この時点で最終合意に至ったのです。
2017年3月末までの廃棄物の完全撤去と廃棄物の無害化処理を約束しました。この最終合意を受け、2003年4月から豊島での廃棄物撤去と、直島での無害化処理を開始、2017年3月には、豊島での廃棄物撤去が、同年6月には直島での無害化処理も完了しましたが、その後も汚染水の処理は続いています。2021年8月には汚染水が排水基準を満たし、2022年3月に整地化が完了しました。このあとは雨水と潮の満ち引きによって環境基準の達成まで、地下水がさらにきれいになっていくことが期待されています。環境基準の達成後に住民に土地を返却されることになっています。
豊島事件により循環型社会へ舵を切る
豊島事件については大きな教訓と学びを得ることが出来ましたがその代償はあまりにも大きいと感じました。
高度成長やバブル時代は、大量生産、大量消費、大量廃棄の時代と見ることができます。有害産業廃棄物の不法投棄は豊島だけではなく、全国各地で行われ、この社会システムを変えなければ、全国にゴミがあふれかえる事態となっていました。豊島での不法投棄の最大の量を占めるシュレッダーダストは自動車の破砕くずですが、電化製品やプラスチックごみも捨てられています。廃油や廃酸は工場から出されました。この豊島事件を契機に大量廃棄を前提とした社会システムを見直す機運が高まりました。
豊島事件を契機に、廃棄物処理法が大幅に改正され、廃棄物処理施設の規制が強化。不法投棄の罰金は300万円から現在では法人の場合、3億円まで引き上げとなり、さらに、廃棄物処理業の許可の取り消し要件が追加され、排出業者への規制も強化されました。
ただし豊島のように過疎化し、人目がつかない場所が標的になる事例もあります。実態は産業廃棄物であるにもかかわらず盛り土を装って不法投棄する事例が最近もありました。
豊島事件は大量廃棄社会から資源循環型社会への転換の契機になったといえます。もし豊島事件の解決がなければ、日本の過疎地域に、産業廃棄物の不法投棄が今日も続いていた可能性があるのです。
豊島住民の「オリーブ」に込められた決意とは・・・
改めてうかがいますが、瀬戸内オリーブ基金は、この豊島事件と深く関わっているのですね
この豊島事件の公害調停が成立した2000年に、豊島事件弁護団長の中坊公平氏と建築家の安藤忠雄氏の呼びかけで設立しました。豊島事件の教訓は「失った自然を回復させるのはすごく時間がかかり、莫大な費用がかかる」ということです。豊島の住民の方々が自分たちの世代で一度汚した瀬戸内海の自然を取り戻して子孫に引き継ぎたいという気持ちを私たち若い世代が継承することが持続可能な社会の実現につながっていくと考えています。
安藤氏が中坊氏とともにオリーブ基金に携わったのは、かねてから瀬戸内海の自然がしだいに減っていることに危機感を覚え、この瀬戸内を、人と自然とが共存する美しいふるさととして次世代を生きる子どもたちになんとか残していきたいとの想いを持って呼びかけ人となられました。
瀬戸内オリーブ基金としては、次世代に美しい自然を引き継ぐ活動を続けて行きます。参ります。瀬戸内海エリアの再生と保全に取組み、環境への意識を育み、豊島事件の教訓と意義を伝えることを柱として事業を展開しています。
活動内容は、瀬戸内海エリアの環境保全活動に対して資金の助成を行うほか、自らの取組みとして「ゆたかなふるさと100年プロジェクト」、「豊島事件継承プロジェクト」「ゆたかな海プロジェクト」などに力を入れています。
2000年の設立から実施している「助成プログラム」では、これまで477件、額にして3億円以上の助成をしてきました。
産廃の不法投棄などで壊れてしまった豊島の自然を回復するための活動を
「ゆたかなふるさと100年プロジェクト」ではどのような活動をされていますか
「ゆたかなふるさと100年プロジェクト」は、国立公園内にもかかわらず、⻑期間にわたり海浜や山の土砂が採取・掘削されたことに加え、産業廃棄物の不法投棄で破壊されてしまった豊かな自然を破壊された自然を、岡山大学と連携しながら、この場所を国立公園にふさわしい状態に回復する取組みです。
オリーブ基金では、現在多くの住⺠や企業ボランティアの協力を得て、岡山大学と連携しながら、この場所を国立公園にふさわしい状態に回復する取組みを続けています。
今後ながい時間をかけて自然海岸、自然の植生に変えていくため、2021年度から「豊島・ゆたかなふるさと 100 年プロジェクト」として、リスタートしました。
「豊島事件継承プロジェクト」はどのような事業でしょうか。
YouTubeで「すぐにわかる豊島事件」という豊島事件の解説動画を公開しました。この解説動画を見れば、豊島事件の全容や私たちが伝えたいこともご理解いただけると思います。また、豊島事件当時の資料も収集し、情報発信をしつつ、環境学習も展開しています。なぜこのような環境破壊が行われたのか、私たちはどのような社会を目指せばよいのかを考える場とする活動です。
豊島での環境学習での最近の具体例を教えてください
最近では滋賀県の聖パウロ学園光泉カトリック中学校の1年生66名に豊島事件をとおした環境学習を実施しました。6月5日は学校に出向き、YouTube動画を使った出前事前学習をし、翌6日には豊島に受け入れての産業廃棄物不法投棄処分地の見学や豊島美術館ツアーを行いました。感想として「香川県やその時の政府がなぜこんなひどいことをしたのか理解できない」との声もあり、将来、児童や生徒が働く時には、豊島事件で学んだことを活かして欲しいと願っています。
では「ゆたかな海プロジェクト」はどのような内容ですか。
「ゆたかな海プロジェクト」は、瀬戸内海一帯が対象になります。瀬戸内海は閉鎖生海域なので、瀬戸内海にあるゴミは瀬戸内海の内陸から排出されたごみがほとんどなので、ゴミの問題を自分ごととして捉えてもらいやすいと考えています。瀬戸内海各地の団体と協力して、楽しみながらごみを拾う「スポーツGOMI拾い(スポGOMI)」を実施しています。
「スポGOMI」は、スポーツ感覚で楽しくゴミを拾えるので、若い世代にも受け入れてもらいやすく、家族や学校単位で参加される方も多いです。また、海のゴミやその問題について広く市民の方に学んでいただける場として「オリーブフォーラム」を開催しています。
オリーブオイル「豊島OLIVE」が好評
「オリーブ」に関係する事業も続けていらっしゃいますね。
公害調停が成立した 2000年、住民たちは、二度とこのような事件を繰り返してはならないという決意を込めて、全国から寄せられた寄付金でオリーブを植樹しました。豊島のオリーブは、美しいふるさとを守るために闘った人々の熱い思いと希望の象徴です。瀬戸内オリーブ基金は、その思いをつないでいくために、住民とともにオリーブの栽培を行っています。
植樹された幼木は今では実を収穫できるまでに成長しました。オリーブの実は手摘みで、収穫後24時間以内に搾油しています。採れたオイルを原料として食用オリーブオイル、美容オリーブオイル、オリーブ石鹸を製造・販売し、その売上は瀬戸内エリアの自然を守る活動に使われます。特に好評なのは、豊島の住民が一粒一粒手摘みで収穫し、24時間以内に搾油したエクストラバージンオリーブオイルである、「豊島OLIVE」です。オリーブに由来した一連の商品は、豊島のお土産として観光客の皆さんにもご好評いただいております。
また、今、豊島には世界各国からさまざまな方が訪問されています。豊島美術館などさまざまなアートも展示しています。豊島事件の現場見学など環境教育の後に美術館でアートや島をサイクリングで駆け抜ける楽しさも知って欲しいです。
最後に、今後の方針を教えてください。
今後は若い世代への環境教育に力を入れていきたいです。滋賀県の中学校を受け入れ、豊島事件を学ぶ環境教育を行いましたが、プログラムをより満足度の高い内容へとアップデートし、これからの日本を担っていく若い世代に豊島事件の意義や自然の大切さを学んでもらう機会を増やしたいと考えています。
会社概要
社名 | 瀬戸内オリーブ基金 |
所在地 | 〒761-4661香川県小豆郡土庄町豊島家浦3837-4 |
TEL | 0879-68-2911 |
公式Facebook | https://www.facebook.com/npo.olive/ |
公式X | https://twitter.com/oliveF_spoGOMI |
公式Instagram | https://www.instagram.com/olive_foundation/ |
公式オンラインショップ | https://teshimaolive.thebase.in/ |
公式YouTube | https://www.youtube.com/@olive-foundation/videos ■おすすめ動画 すぐにわかる豊島事件 Part1 豊島事件はこうして始まった【わかりやすく解説】 https://www.youtube.com/watch?v=7hDx1bp4o-o すぐにわかる豊島事件 Part2 ゴミの山が残った~公害調停【わかりやすく解説】 https://www.youtube.com/watch?v=y6swDXCDNl4 すぐにわかる豊島事件 Part3 最終合意をめざして【わかりやすく解説】 https://www.youtube.com/watch?v=VePafheDG1U |
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