ニューヨーク・タイムズ紙「2024年に行くべき52カ所」に「山口市」が選ばれました。観光公害が少ないコンパクトシティである点や、現在令和の大改修中の「国宝 瑠璃光寺五重塔」、美肌の湯で知られる「湯田温泉」などが紹介されました。
山口市は室町時代から戦国時代にかけて歴代にわたり大内氏※が治め、「西の京」と称されるほどの街づくりに挑み、朝鮮、中国の明などと貿易を盛んに行い、発展しました。その遺構は、現在の山口市で見ることができます。
雪舟、フランシスコ・サビエルなど偉人が愛し、大内義隆公は、山口に都を移そうとした壮大な構想もありました。もしかすると、日本の都になっていたかもしれない、「西の京」の山口市を訪ねることで新たな発見も生まれることでしょう。
今回は、一般財団法人山口観光コンベンション協会の川井雅義氏に山口市の魅力について話をうかがいました。
※大内氏・・・周防(現山口県)・長門(現山口県)、石見(現島根県)、豊前(現福岡県東部・現大分県北西部)、筑前(現福岡県)各国の守護職に補任されたほか、最盛期の大内義隆公の代には山陽・山陰と北九州の6か国を実効支配した。百済の聖明王の第3王子である琳聖太子の末裔と称し、明、朝鮮、琉球との貿易を活発に行い、富を蓄えた。
一般財団法人山口観光コンベンション協会
川井雅義氏
大内文化の遺産が数多く残り、リンゴ園や車エビも楽しめる
――山口市の簡単なご紹介からお願いします。
山口県の中央部に位置し、「西の京」と呼ばれる街で自然と文化に富んでいます。国宝の瑠璃光寺五重塔や龍福寺など、室町時代から戦国時代に栄えた大内氏が残した大内文化の遺産が数多く残っており、歴史好きな方には楽しんでいただけるのではないでしょうか。
街の中には、湯田温泉があり、6ヶ所の足湯もあり、観光客の方にはもちろん、地元の方にも愛されている温泉地でもあります。
山口市北部の阿東地域では、西日本最大級の広さをもつりんご園があるほか、梨狩りやぶどう販売などたくさんのフルーツを、また南部の海沿いの秋穂(あいお)地域は、車エビ養殖発祥の地と呼ばれ、えび料理もお楽しみいただけます。
歴史的建造物の多い山口市ですが、温泉やさまざまなグルメでも楽しんでいただける街です。
「西の京」としての魅力を再発見
――戦国大名の大内義隆公は山口遷都計画を構想していたようです。「西の京」の魅力を改めて解説を。
歴史や文化を楽しめる街で、京都の文化を見せつつも、都会のような喧騒さも感じさせる様な場所でもなく、ゆっくりと滞在していろいろな面を楽しめます。
代表的な建造物は、今申し上げたように国宝の瑠璃光寺五重塔です。25代の大内義弘公が応永の乱により戦死。その菩提を弔う意味合いもあり、五重塔を建立しました。全国にある五重塔のうちで10番目に古く、日本三名塔の一つに数えられ、美しさも際立っています。今、令和の大改修中ですが2026年春に改修が終わり、美しい姿を再度皆さんにご覧いただけると楽しみにしている所です。
ほか義隆公の菩提寺となり、国の重要文化財の龍福寺、寺の資料館には所狭しに貴重な資料を閲覧できます。龍福寺周辺の街並みは碁盤目状となっており、大内氏が京都から山口に都を移そうとした街並みが偲ばれます。
同じく国の重要文化財の八坂神社、国の史跡及び名勝の常栄寺雪舟庭も同じく大内氏の遺構が残る場所です。
庭園は、今から約500年前、大内政弘公が別荘として、画僧雪舟に築庭させたものと伝えられています。雪舟は、30代半ばで山口に移り住み大内氏の庇護を受け、その後、明に渡った際には水墨画を学び、帰国後は山口などを拠点とし、水墨画家とともに作庭でその才能を開花しました。
市内の散策では「一の坂川」「長門峡」などが人気スポット
――代々、京都を愛した大内氏は、市内に流れる「一の坂川」も鴨川に見立てたようですが、散策の楽しみも教えてください。
はい、24代の大内弘世公は、上洛した際に京都の文化や街づくりに深い感銘を受け、この「一の坂川」を京都の鴨川に見立て、大内氏による山口での街づくりがスタート。以後、歴代の大内氏もこれに倣い、大内文化を開花させていきました。
一の坂川は、春にはとてもきれいな桜が咲き乱れ、夜にはライトアップもされますので夜桜も楽しんでいただけます。
また、6月に入ると市内の川にもかかわらず、ホタル観賞もできます。都道府県の県庁所在地の街中でホタルを観賞できる地域はなかなかないかもしれません。シーズン中の5月下旬から6月上旬には、「ほたる観賞Week!」として、ゲンジボタルの観賞を楽しめます。
次に国指定の名勝地の「長門峡(ちょうもんきょう)」は、山口県内でも屈指の紅葉の名所といわれ、道の駅の長門峡からスタートし、約5kmの遊歩道を歩き、峡谷や谷に沿って歩み、広がる紅葉に感動しながら歩くスポットです。歩いている途中に鮎の塩焼きが食べられるお店もありますので、是非、ご賞味され、日々の疲れをリフレッシュされるのもいいでしょう。
山口市の人の良さ、暖かな心に惹かれたライターが推薦
――アメリカのニューヨーク・タイムズ紙が発表した「2024年に行くべき52カ所」で、世界各地の旅行先の中で山口市が選ばれましたが。
私どもも選ばれるとは思っていませんでした。訪日外国人の方々を含め観光客の皆様が多く来られオーバーツーリズムとなり、気軽に観光ができる場所ではなくなった地域もあります。
山口市はそうした地域と比較し、オーバーツーリズムになっておらず、コンパクトに街がつくられ観光がしやすい点を評価いただきました。
この点は、行政や市民の方も含めて考えていなかったことでした。山口市を推薦されたライターのクレイグ・モドさんがたまたま入ったお店で暖かくおもてなしを受けたことを熱量をもって紹介されています。
山口市の心の暖かさや人の良さも評価されたことも私どもにとってとても光栄なことです。
山口市を拠点とし、県内の観光地とする旅行も
――先日、湯田温泉旅館協同組合の専務理事・事務局長を務める吉本康治氏から「湯田温泉こんこんパーク」の話をうかがいまして、市にとっても大きな観光施設になると思うのですが。
「湯田温泉こんこんパーク」を新たな拠点として、山口市を周遊して楽しんでいただければと思っています。
山口市そのものにも魅力はあるのですが、山口市だけでなく山口県にはたくさんの魅力的な観光地があります。山口市は山口県を周遊する拠点の街にもなる点も魅力があります。
新幹線の新山口駅があり、県内外を東西へ移動するのも便利ですし、北部の萩にも車で約1時間で到着します。山口県を周遊する拠点の街としても利便性に優れている街といえます。
市内の湯田温泉を拠点に山口県を周遊する温泉旅を楽しむことができ、目的地としての山口市はもちろん、拠点として山口市に滞在していただけるよう、PRしているところです。
現代に生きる大内塗などの大内文化を実体験
――大内塗など大内文化を体験できるところもあるようですね。
大内塗※は大内文化の最たるもので、今でも市内各所で体験ができ、大内人形への絵付け、箸づくり、アクセサリー作りなどが楽しめます。観光客の方はもちろん、地元の方々も大内氏の文化体験の一部として楽しまれている方が多いですね。吉本専務がご紹介されていましたが、同じく大内時代からの伝統ある「徳地和紙」※の手すき体験もできます。
※大内塗・・・山口市に伝えられる伝統工芸品。朱色の漆を施し、雲形の中に大内菱を金箔で配し、秋の草花を添えて描く点を特徴としている。1989年(平成元年)に伝統的工芸品としての指定を受けた。
※徳地和紙・・・鎌倉時代初期、俊乗坊重源上人により山口に伝えられたとされる。大内氏の時代には大変質の高い紙が生産され、「得地紙」と呼ばれて重宝された。
意外!?リンゴなどフルーツの産地の山口市
――話はガラリとかわりますが、山口市内でリンゴの産地であることは意外でした。
山口市の阿東地域は冬には雪が降り、西日本の中でも非常に寒い地域です。リンゴといえば、長野県や青森県など寒い地域で獲れるイメージだと思いますが、阿東地域も同様にリンゴの栽培に適した地域です。リンゴ狩りの体験や、お土産品では、リンゴジュース、リンゴケーキなどが揃っています。
実は、私は岡山から移住して山口に就業しましたが、山口のリンゴの美味しさに感動しました
――移住される方も多いのでしょうか。
山口市としては移住・定住支援にも力を入れていますので、県外市外からの移住者は見受けられます。私の場合は山口市にある山口大学に入学し、その後に移住しました。山口大学は県外出身の学生の比率も高い大学です。県外は隣県の福岡県をはじめとした九州地方や同じ中国地方の広島県から受験される方も多いので、その方々が定住されることも少なからずあると思います。
山口市は県庁所在地名だけあっていろいろな地域から人やモノが集まりやすい街です。ただ、かと言って都会的でもなく、また田舎過ぎず、住みやすい街ではないでしょうか。
12月、山口市はクリスマス市になるワケは
――大内義隆公は晩年文治政治を行いますが、どのような印象をお持ちですか。
スペインからキリスト教を日本に布教しようとフランシスコ・サビエルも山口で腰を落ち着け、布教活動につとめますが、日本で最初にクリスマスのミサを開いたのはここ山口でした。12月には山口市はクリスマス市になり、街はクリスマス一色に染まります。
歴代の大内氏の当主は京都の文化人と交流し、和歌などの文化も根付いた街です。そのあたりの積み重ねが、「西の京」と称されるゆえんです。
最終的に義隆公は、家臣の陶晴賢の「大寧寺の変」※により裏切られ、その後、毛利氏が治めます。ただ、「山口は毛利ではない。大内なんだ」との思いをお持ちの市民の方々も多く、大内氏や大内文化の遺徳を偲ぶ声もあります。
大内氏は強い大名だっただけではなく、中国との貿易を進め、山口を豊かにし、また文化を大切にした大名だったことは忘れてはならないと思います。
大寧寺の変・・・周防山口の戦国大名・大内義隆が家臣の陶晴賢の謀反により自害させられた政変。この事件で西国随一の戦国大名とまで称されていた大内氏が実質的に滅亡し、西国の支配構造は大きく変化した。
――貴協会の方針を。
ニューヨーク・タイムズ紙が発表した「2024年に行くべき52カ所」で取り上げられましたが、今のところはオーバーツーリズムにはなっておらず、今まで通り観光いただける状況です。ただこれからは観光客も徐々に増えて、将来的にはそういった状況になることも否定できません。観光客の方々が増えても快適に観光される環境を整えていくのも当協会の仕事の一つです。
観光客の方々が今まで通り、歴史や文化を楽しんでいただくことも大切ですが、より山口市を楽しんでいただけるためイベントなどを企画し、山口市に来ていただくための魅力づくりを地元の方々と連携しつつ、観光客の方々にご案内していくことが求められると考えています。
団体概要
名称 | 一般財団法人山口観光コンベンション協会 |
住所 | 〒753-0042 山口市惣太夫町2番1号JR山口駅2階 |
TEL | 083-933-0088 |
公式HP | https://yamaguchi-city.jp/ |
公式Instagram | https://www.instagram.com/yamaguchi_convention/ |
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