【和歌山県・熊野】天下人もあやかったパワースポット世界遺産に登録された霊場と参詣道

和歌山県の熊野地域は、川や滝、巨岩に神が宿るとして崇める自然崇拝を起源とし、「よみがえりの地」として、人々の心を癒やす特別な地です。

熊野三山への参詣は平安時代中頃から始まり、室町時代まで盛んでした。武士の時代を切り開き、武家としてはじめて最高の地位である太政大臣まで出世した平清盛も熊野詣を行いました。

平家物語の冒頭部分に「平家がこのように繁栄したのは、ひとえに熊野権現の御利益であると噂された」と書かれるほど霊験あらたかな地域です。

熊野の持つパワーは当時の天下人であった清盛も大切にしたのでしょう。その後、熊野古道の人気スポットである「那智山青岸渡寺」は豊臣秀吉が再建されたことで知られ、多くの戦国大名からも大切に信仰されていました。

現代でも有力な政治家・財界人が熊野詣(くまのもうで)を行っています。「よみがえりの地」の熊野の持つパワーを是非、ご自身のものとするために熊野詣をされてはいかがでしょうか。

目次

熊野詣と熊野古道とは!?

平安期の上皇ら貴族達の熊野御幸行列を再現した平安絵巻イベント「あげいん熊野詣」

熊野詣とは、紀伊半島・熊野にある、本宮・新宮・那智の熊野三山を参詣することをいいます。平安時代、宇多法皇に始まる歴代法皇・上皇・女院の熊野御幸は数多く行われ、身分や老若男女を問わず「蟻の熊野詣」といわれるほど大勢の人々が熊野を訪れました。熊野詣のために通った道が「熊野古道」と呼ばれる参詣道です。

ちなみにこの「御幸」とは上皇・法皇・女院が外出することを意味し、熊野に上皇・法王・女院が参拝することを指します。当時の貴族の日記にはしばしば「熊野御幸」という単語が見られますので、多くの貴人が熊野への参拝を行っていたことがうかがえます。

除災延命・富貴安隠・浄土往生を願い、熊野三山を目指して歩き、お参りして帰ってくる巡礼の旅です。身分や男女の別を問わず、信不信を問わず、誰もが平等に受け入れることから日本中に広まり、多くの人が熊野を訪れたことから、日本人の「旅の起源」ともいわれています。

「熊野詣」は、黄泉(よみ)の国にいき、生まれ変わって現世へ戻る「よみがえりの地」でもあったといわれています。当時の黄泉の国とは死者が生活する場所と考えられていたのです。

当時の人々は、過去の行いを「よみがえりの地」で悔い改め、心や体も入れ替えあらためて生きていく考えがあったようです。

和歌山県は、県内の熊野古道や参詣道、ウォークコースをご紹介しています。「高野参詣道、紀伊路、中辺路、大辺路、小辺路、南海道」を掲載中です。各ページの街道マップをご覧いただき、是非、熊野詣をお楽しみください。

熊野地域は歴史的価値が高く、またトレッキングにも最適な場所で、各ルートには魅力的なスポットがあるので、景観を楽しみながら歩くことができます。

そんな熊野地域ですが、「紀伊山地の霊場と参詣道」として2004年7月にユネスコの世界遺産に登録され、2024年で20周年を迎えました。

平安時代の「熊野御幸」を令和に再現

和歌山県は、「紀伊山地の霊場と参詣道」が2024年に世界遺産登録20周年を迎えるにあたり、2023年12月~2024年3月まで「令和の熊野詣」と称して、熊野古道リレーウォークを実施しました。熊野古道 紀伊路約80㎞を全8回に分け、語り部の案内のもと、参加者は白装束を着用し、歩き熊野詣を体験されました。

和歌山県知事の岸本周平氏が上皇、俳人の黛まどかさんが女院として熊野御幸(くまのごこう)を再現する「令和の熊野詣」の出立式を2023年12月に京都府の城南宮で開催しました。熊野詣の出立式を現代に再現したイベントでした。

熊野三山と那智の滝の見どころ

熊野本宮大社

熊野には多くの歴史的意義のある信仰の場所があります。そのすべてを説明することはできませんが、代表的として熊野三山と呼ばれる「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」のほか日本三大名瀑の一つ「那智の滝」を紹介します。平安時代の末期には鳥羽上皇、後白河法皇、後鳥羽上皇などが幾度も熊野三山に足を運び、大いに賑わいました。

熊野三山の一つ、熊野本宮大社は、田辺市本宮町にあり、主祭神は家津美御子大神(けつみみこのおおかみ=スサノオノミコト)です。

158段という長い石段を登ると、神門をくぐると桧皮葺の社殿がみえます。そこには悠久の歴史を感じ、熊野三山の中でも特に落ち着いた雰囲気を漂わせます。かつて熊野本宮大社は、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」という中洲にありました。

当時、東京ドームの約7割の広さ約1万1,000坪の境内に5棟12社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だったとのことです。

しかし1889年(明治22年)8月の水害で、社殿の多くが流出しました。この水害を免れた4社を、現在の熊野本宮大社がある場所に移しました。

かつて「熊野詣」が盛んだった平安時代では、熊野詣(中辺路ルート)をされる最初の目的地がこの熊野本宮大社で、それから熊野川を下り、熊野速玉大社から熊野那智大社に参詣する人が多かったと伝えられています。

熊野速玉大社

次の熊野速玉大社は雄大な熊野川の河口、三重県との県境である新宮市にあります。

主祭神は、熊野速玉大神(くまのはやたまおおかみ=イザナギノミコト)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ=イザナミノミコト)です。夫婦神を祀る朱塗りの鮮やかな社殿が特徴的です。境内にそびえる御神木のナギの木とともに、今も人々を癒す聖地です。神宝館には約1,200点にものぼる国宝を保管しています。

熊野三山の最後が熊野那智大社です。那智勝浦町にあり、主祭神は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ=イザナミノミコ)で、熊野詣(中辺路ルート)の最終目的地として、「那智山青岸渡寺」とともに富み栄えました。

社殿は、熊野速玉大社と同様朱塗りです。那智山青岸渡寺とともに熊野信仰の中心地として栄華を極め、今なお多くの参詣者が訪れています。463段の石段を登り、標高約500メートルに位置する社殿は6棟からなります。

熊野那智大社

熊野那智大社の近隣に有名な那智の滝があります。那智山の奥山、大雲取山から流れ出る本流にいくつもの流れが重なり合い、ついには原生林を切り裂くように落下しているのがこの「那智の滝」です。水柱は落差133m、銚子口の幅13m、滝壺の深さは10mと日本で一番落差の大きい滝としても有名です。日本三名瀑の一つに数えられています。

那智の滝

今回、紹介はしませんでしたが、和歌山県は海・山・川に恵まれ、大自然を体感できる海水浴やダイビングはもちろん、カヌー、ラフティングなどウォーターアクティビティが充実し、この点でも注力をされています。

たとえば、「古座川のキャンプ場」、「嶽の森山」という名峰、「白浜温泉」という温泉地、「白良浜」という美しい白浜など魅力にあふれる和歌山県の姿を知って欲しいと願っています。

ユニバーサル観光の発祥の地・熊野

その中でも熊野地域は和歌山県民にとって大きな宝です。霊場は一般的に女人禁制なのですが、熊野は女性も入ることができ、古代から今でいうジェンダー思想が根付いていた地域といえそうです。ハンディキャップを持った方が一人でも参ることができたのが熊野でしたので、今日のユニバーサル観光の発祥の地でもありました。

今、熊野には日本人だけではなく、多くの外国人が訪れ、世界各国から関心を寄せられ、ひいては日本人の信仰のありようを解くカギとして、熊野を研究する外国人もおります。ユネスコの世界遺産の登録20周年を機会に、是非、「熊野詣」を行い、新たな自分に生まれ変わってみてはいかがでしょうか。

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